ご由緒
御創建:斉衡3年(西暦856年・平安時代)
御祭神:少彦名命(すくなひこなのみこと)
配祀神:大名持命(おおなもちのみこと)
主祭神の少彦名命は日本神話において始源の神である造化三神の一柱。高皇産霊神の指の間からこぼれ落ちた小さな神で、海の向こうからガガイモという芋の皮の船に乗り、小鳥の皮を着て現れたと伝わります。
大国主命(大名持命の別名)と共に国造りという神話の中で力を併せ心を一つにして日本国土を統治する国土経営をなされました。
国造りにおいて『古事記』・『日本書紀』・『風土記』などの神話では大名持命と少彦名命の二神が併せて登場することから、当社に限らずこの二神の組み合わせで祀る神社は多いようです。
酒列磯前神社、由来について
平安時代に編纂された歴史書である「文徳天皇実録」によれば斉衡三年(856年)12月29日に常陸国鹿島郡大洗の海岸に御祭神大名持命・少彦名命が御降臨になり、塩焼きの一人に神がかりして、「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造り訖へて、去りて東海に往きけり。今民を済わんが為、亦帰り来たれり」(現代意訳:私は大名持、少彦名命である。日本の国を造り終えてから東の海に去ったが、いま再び民衆を救うために帰ってきた。)と託宣され、当社「酒列磯前神社」が現在のひたちなか市磯崎町に創建され、また同時期に現在の東茨城郡大洗町には「大洗磯前神社」が創建されました。
少彦名命が酒列磯前神社の主祭神に、大名持命は大洗磯前神社の主祭神としてお祀りされるに至りました。
御創建の由緒からもわかるように酒列磯前神社と大洗磯前神社は二社で一つの兄弟神社となっております。
御創建の翌年の天安元年8月には官社に列せられ、更に10月には「酒列磯前薬師菩薩明神」の神号を賜りました。
延喜の制では名神大社に、明治18年4月には国幣中社に大洗磯前神社と共に列されました。
また、昭和38年に奈良の平城宮跡の発掘調査が行われたとき、多量の木簡が出土した中に「常陸国那珂郡酒烈埼所生若海菜」と記された墨書文字が発見されました。
これは今から約1300年前の昔、酒列磯前神社に奉納したこの地方のわかめを天平文化の栄えた奈良の平城宮まで頒納されていたのであり、また遠いその昔より、酒列磯前神社の御神威が顕著であり、著名なお社として全国的な尊崇を集めていたことを物語っています。
御神徳
医療薬学の祖神
少彦名命は数多くの御神徳をお持ちですがその中でも大きい御神徳が病気平癒です。
神話において高天原より天降りて山野に薬草を求める病気に悩む人々を治療し、鳥獣昆虫の災を払う禁厭の法を定め民衆の災禍を防ぎ生命の不安から救われた、いわゆる医療薬学の祖神です。
このことから少彦名命は病気平癒の神様としていまでも多くの病苦に悩む人々の味方になってくださる神様です。
酒造・醸造の神様
少彦名命は、酒を造る術を考案された
醸造の神としても、古くから崇められています。
少彦名命の酒神としての逸話は、日本書紀(巻九)神功皇后御歌において「此の神酒は我が神酒ならず、薬師の神、常世に居ます磐立たす少御神の豊祝ぎ祝ぎもとほし、神祝ぎ祝ぎくるほし、祀りこし神酒ぞあさずをせ、ささ」釈日本紀(二十四)には「少彦名神是造酒神也」などこれらの古典を見ると少彦名命の酒神としての性格がわかる記述があります。
また江戸時代の著名な国学者である伴信友の延喜式神名帳に記載された所謂、式内社について考証した「神名帳考証」という書物には酒列磯前神社について「少彦名命は酒を醸したまへる古実のごとくなればことさら当社に由緒ある酒列と云えるも、
かの酒瓶を列ね、祀れるによる地名なるべし」とあり、当社の社名の由来は諸説ありますが酒列磯前神社の「酒」の字は少彦名命の酒神としての御神徳に沿って「酒」という字を当てたのではないかとも考えられます。
温泉の神様
四国の愛媛県松山市に湧出する日本三古湯の一といわれる道後温泉の伝説には、当社の御祭神の少彦名命、大名持命が道後温泉で体を癒し、体調を回復するお話が登場し、 少彦名命は温泉の神様とも言われております。その神話からか当社の隣にございますホテルニュー白亜紀が建つ場所からは、天然温泉が湧いております。
知恵の神様
学問の神様である菅原道実公や江戸時代の国学者の大家である本居宣長公、平田篤胤公などが生前に少彦名命を学問の神として篤く崇拝していました。
海上安全・大漁万足
少彦名命は別名恵美寿さまとも称され海上安全・大漁万足をお与へ下さる海の神としてもよく知られ、また商売繫盛の神様としても広く尊崇されている神様です。
毎年、1月には神社の近くにある磯崎漁業協同組合で大漁祈願祭を執り行います。